熊野古道には複数のルートがあり、その一つ「大辺路(おおへち)」は、田辺市から白浜町・すさみ町・串本町を経て那智勝浦町に至る、紀伊半島の海岸沿いを通る参詣道です。 中辺路に比べて距離が長く、もともとは修験者や西国三十三度行者と呼ばれる宗教者が主に通った道でしたが、近世以降は風光明媚な景色を目当てに、文人墨客が観光的に歩く道としても親しまれました。 2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、大辺路のうち富田坂・仏坂・長井坂の一部がその対象となっています。
富田坂は、白浜町富田の禅寺「草堂寺」付近を入り口とし、安居集落までを結ぶ峠道です。 草堂寺の境内とこの富田坂の一部は世界遺産に登録されています。 林道を進むと、大辺路一番の難所と呼ばれる「七曲り」のつづら折れの急坂が続き、登り切ると木々の間から富田平野と湯崎半島の眺望が開けます。
峠の茶屋跡を過ぎてしばらく歩くと、白浜町富田と日置川町安居との境界にあたる「安居辻松峠」に至ります。 紀州藩の一里塚の跡地とされ、和歌山から23里(約92km)の地点にあたり、かつては塚の上に松が植えられていましたが、昭和18年(1943)の山火事で焼失したと伝わります。
富田坂を下りた安居の集落から、対岸の仏坂へと日置川を渡るのが「安居の渡し」です。 大辺路は紀州藩主も通行した官道で、初代藩主頼宣や、7代宗直、10代治宝などが実際にこの道を通ったと記録されています。 大勢の随行者とともに渡る際には、川に舟を並べて橋のように渡したという逸話も残っています。
かつての日置川の川幅は約80mにも及び、昭和初期まで「平田船」と呼ばれる木造の川舟が行き来していましたが、昭和29年(1954)頃に一度廃止となりました。
すさみ町の材木商から川舟が寄贈されたことを機に、「安居の渡し保存会」によって半世紀ぶりに復活。 令和4年(2022)7月には利用客が延べ1万人を超えました。
安居の渡し場跡から杉やヒノキの林を進むと、一里塚跡「桂松跡」、続いて仏坂の茶屋跡があり、太間川沿いを下ってすさみ町へと至ります。 開発の手がほとんど入っていないため、大辺路の中でも特に古い面影を残すコースとされています。
「仏坂」という名前の由来には諸説あり、険しい山道のため命を落とす旅人が多く、死者=仏ということから名付けられたという説、 生い茂った草が草鞋の紐に引っかかって「ほどける」がなまって「ほとけ」になったという説などが伝えられています。 坂を下りた先には、地主(じのし)神社や、那智大社から勧請された周参見王子神社があり、こちらには数十点の船絵馬が奉納されています。
白浜町富田から安居の渡し場、仏坂を経てすさみ町・周参見駅に至るルートは、総距離約14.4km、標準歩行時間は約4時間20分とされています (安居の渡し場からの「仏坂」単独区間は歩行距離約10.8km)。 難所とされる富田坂・仏坂ですが、実際に歩いた記録では仏坂は比較的歩きやすいという声も多く、古道歩きの入門としても親しまれています。
富田坂の急坂、安居の渡しの川風、仏坂の杉林——大辺路の中でも特に古道らしい風情を今に残す道のりです。
紀州藩主も渡ったという日置川を、舟でゆく。
歩く者だけが出会える、熊野古道大辺路街道の静かな歴史にふれてみてください。